「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

じぶんの内側への探検をはじめると、外側への冒険もはじまる。

========

 

・・・冒険してる?

 

========

 

 

ぼくは「幸せとは充実感だ」というふうに定義している。

 

 

ハラ生き道でいう「なくならない幸せ」とは「無条件の幸せ」のこと。

 

しかしここで「幸せ」を「ふわふわの幸福感」と解釈してしまうと、なかなかシンドくなる。

 

 

なぜなら「ふわふわの幸福感」を幸せと定義したとたんに、それ以外の感情は「幸せ」じゃなくなってしまうからだ。

 

 

もちろん、穏やかで落ち着く、やわらかい幸せもあるだろう。

 

けれども激しくて、エネルギッシュで、爆発的な幸せもあるんだ。

 

 

幸せにはいろんな色がある。

 

青い幸せ、赤い幸せ、ピンクの幸せ、緑の、紫の、茶色の・・・

 

 

そのすべてに共通するのは「充実感」なんだとぼくは思う。

 

 

だから「幸せ=充実感」と定義すれば「いつでも幸せ」が可能になる。

 

 

けれども、「幸せ=ふわふわの幸福感」と定義してしまうと、それ以外のときが「幸せ」ではなくなってしまう。

 

 

ハラ生き道の根本は

 

「いつでも、どこでも、このままでいい。変えなくていい」

 

 

という発想だ。

 

 

それを実現するためには「幸せ=幸福感」ではなく、「幸せ=充実感」と定義しなおす必要がある。

 

 

 

では、その「充実感」をいかに得ていくかというと、それは「ハラを満たす」ことだ。

 

 

それをハラ生き道では「ハラ満た」と呼ぶ。

 

 

ぼくらのからだは「ハラ」を満たせば、充実感を感じるようにできている。

 

 

だから、「ハラを満たす」ような行動をしていれば、「充実感」を感じられ、すなわち「なくならない幸せ」を身につけることができるという寸法だ。

 

 

 

では、どうやって「ハラを満たす」のかというと、それが

 

「冒険」

 

なんだ。

 

 

 

 

最近、冒険してますか?

 

 

 

 

 

冒険とは「危険」を「冒す」こと。

 

 

つまりデンジャラスに飛び込むってことだ。

 

 

あなたにとっての危険領域があるでしょう。

 

 

そこへ足を踏み入れる。

 

 

そんな体験によって、「ハラを満たす」ことができる。

 

 

あなたにとっての「危険領域」はどこだろうか。

 

 

あの人に言いたいことを言うこと?

 

愛されることを許可すること?

 

じぶんらしく表現していくこと?

 

愛想笑いをしないこと?

 

断ること?

 

 

人によって、デンジャラスゾーンはさまざまだ。

 

しかしいずれにせよ、その危険領域に突っ込んでいくということ。

 

 

それが「ハラを満たす」ことにつながる。

 

 

 

しかし「逃げグセ」がある人は、ことごとく「危険領域」を避ける。

 

 

それもあまりにも無意識に。

 

ときには「じぶんには危険領域などない。もうすべて制覇した」というような顔をして、余裕ぶっこいている場合もある。

 

 

けれども人間として生きる以上、「危険領域」がなくなることなんてないんだ。

 

 

だから「危険領域」を見ないようにする「逃げグセ」は、ほんとうに人生を台無しにしてしまう。

 

 

この逃げグセは、「癖」、つまり習慣なので、人に指摘してもらわないと、気づくのがなかなか難しい。

 

 

場合によっては、指摘されても「逃げてなどいない」と逃げてしまうこともある。

 

 

だが、人から見れば逃げているのは一目瞭然なんだ。

 

 

ハラを満たして「充実感」にあふれる人生を送りたいなら、逃げずに自分の内側へ探検していくしかない。

 

 

そこには、「見たこともないような自分」がいるだろう。

 

「見たくない自分」もいるだろう。

 

「見せたくない自分」もいるだろう。

 

 

じぶんの内側の探検の道中では、「モンスター」や「妖怪」、「鬼」にたくさん出くわす。

 

 

けれどもそれらはすべて、じぶんが自分のなかに飼っているのだ。

 

 

そして彼らと手を組むことができたとき、「じぶんの本心」が立ち現れてくる。

 

 

そして、その「本心」にしたがって行動していると、それは自然と「冒険する生き方」になってしまう。

 

 

 

さぁ、今あなたは冒険の旅に出ているだろうか?

 

もしくは安住の地で安楽・安全な暮らしをしているだろうか?

 

 

きっと前者の人は「なくならない幸せ=充実感」を感じているはずだ。

 

後者の人は「幸せなはずだけどどこか違う」と感じているはずだ。

 

 

 

ぼくらが「生きる」という旅を最大限に愉しむのは、冒険しているときだけだ。

 

ゴールなどなくてもいい。

 

いま、この瞬間に、冒険をしているか。

 

一瞬一瞬、小さな一歩を踏み出しているかってことが、何より大事なんだ。

 

 

 

ぼくらが自分の内側に一歩踏み出すと、自然と外側の世界でも冒険してしまう。

 

この「充実感」の世界にシフトしてしまったら、もう戻ることはできないんだ。