「くすぐったい」のは「受け取り拒否」だって知ってた?
例外もあるかもしれないけれども、ぼくの経験上「くすぐったがり」の人は、受け取りベタな人が多い。
そして、自己肯定感が低めの人が多いんだ。
そういう人は、小さいころの「肌の触れ合い」が少なかったというケースが多い。
そのせいで、「人が近づく」ということに対して、無意識に緊張してしまうんだ。(別件だけれども、こういう人は食べ物の好き嫌いが激しいケースが多い。)
そもそも「くすぐったい」とは、防衛本能の働きだ。
「くすぐったい」とは
「急所(神経の集まるところ)を触られる」
↓
「防衛本能で緊張する」
↓
「攻撃ではないと分かる」
↓
「ホッとする」
↓
「笑う」
という仕組みになっている。
だから2番目の「防衛本能で緊張する」ということがなくなれば、「くすぐったい」はなくなってしまう。
けれども、「この無意識の緊張」というのが、なかなか厄介なんですな。
「無意識」だからこそ、「緊張してますね」と指摘しても、なかなか受け入れてもらえない。
「いえ、リラックスしてます」なんて、すごく緊張した面持ちで言われる。
これは緊張しているせいで「緊張していますね」という指摘さえも受け取れなくなっている証拠なんだ。
かと言って、「リラックスできてますね」なんて言っても「いえ、まだまだです」とか言われたりして。
つまり、すべての相手の発言を「受け取らない」と、無意識で決めていたりする。
それが面白いことに、カラダのワークを通じて、だんだんと無意識の緊張に気づいてくる。
「からだは、ただしくはこう動かす」
「本来は、これくらいの可動域がある」
「ここが、これくらいにやわらかくなる」
と、ぼくのカラダを使って説明していくと、自分のカラダは異常に固いんだと徐々に気が付いていく。
そこではじめて
「今まで頑張って生きていたんだ」
と気づくのです。
それだけ「がんばって生きる」ことが普通になってしまっている人は多いのです。
「くすぐったがり」というのは、そのひとつのサインと言える。
それで面白いことに、からだが「くすぐったがり」の人は、こころも「くすぐったがり」なことが多い。
つまり、
「褒められる」
「愛される」
「大切にされる」
ということを「くすぐったく」感じてしまうので、それを受け取らないようにしているのです。
そこから、「からだの軸」を作って「からだをゆるめる」と、「褒め言葉」も受け取れるようになります。
そういうの、体験してみませんか?