「自分を責める」のが反省じゃない。「自分を責めているところを見つけて、それをやめる」のがホントの反省。
反省してションボリするなんて、サルでもできるんだ。
人間がする反省ってのは、ションボリすることじゃない。
「自分を認める部分を増やす」ってのが、ハラ生き道の”反省”なんだ。
誰かに叱られて、
「はい、反省します」
と素直に自分の悪いところを直す。
そんな行動は、いままでの道徳では褒められていた。
ぼくなど、そういう道徳の申し子のように「いい子」だったから、ずいぶんと洗脳されてしまった。
けれども、それはハラ生き的な「素直」でも、「反省」でもない。
ハラ生き道でいう反省とは、
「自分を責めている思い込みを見つけて、それをやめること」
なんだ。
じぶんを責めるために、じぶんを振り返っても仕方ないでしょう?
ハラ生き道のひとつの目標として
「じぶん責めをやめる」
ってのがある。
けれども、通常の意識では、なかなかどんなポイントで自分を責めているかを見つけることができない。
だからこそ、何かチャンスがあったときに「反省」し、じぶんを振り返り、「責めてるポイント」を見つけ、それをやめていく。
だから、反省すれば反省するだけ、ぼくらは自由になる。
それが、今までの「反省」では、反省すればするだけションボリしてしまう。
ハラ生き道の反省とは、じぶんの深い部分に入っていくということだ。
そして、奥深い「じぶんの本質」を、受け入れ、認めていく。
すると表層の部分で「正当化」しなくてもよくなるので、「間違い」を認めることができるようになるんだ。
それをせずに表面上で
「私は間違ってない!直すところなんてないんだ!」
とがんばれば、それは調和を崩してしまうだけだ。
そんなとき、まずは、そのぶつかりについては横に置いておくのが賢明だ。
それから、じぶんの奥深くに入っていき、「じぶんを責めているポイント」や「思い込み」を探す。
その「思い込み」を見つけたら、「ハラ生きメソッド」で解消していく。
そうして「思い込み」がひとつ解消されれば、ぼくらはまた一つ自由になり、こころもからだも軽くなる。
そうやって、どんどんどんどん軽やかに自由になっていこうというのがハラ生き道なんだ。
重い反省は、もう要らない。
ライトに、あざやかに、自分を認めていけばいいんだ。