「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

潜在意識を 「確実に」 書き換える方法。

潜在意識を変えたい。

 

じぶんの「設定」を変更したい。

 

自分の「前提」を書き換えたい。

 

 

「自分を変えたい」と悩んだことのあるあなたなら、きっと一度はそんなことを考えたことがあるはずです。

 

そして、そのためにセミナーに行ってみたり、なんちゃらセッションを受けてみたり。

 

 

けれども、けっきょく毎日が変わらない。

 

モヤモヤする日常から抜け出せない。

 

悩みが晴れない。

 

 

つまり「まったく変わってない」なんてことが、よくありますよね。

 

 

ぼくも2014年にハラ生きをはじめるまでは、ぜんぜん変わりませんでした。

 

セッション受けても効果ないし、セミナー行って、1週間くらい気分がよくてもすぐ戻ってしまう。

 

そんなことを繰り返していました。

 

ほんと「セミナー」をカンフル剤がわりに使っていましたね。

 

 

それが、2年半以上ハラ生きを実践していくうちに、徐々に、徐々に、変わってきて、今に至ります。

 

2014年と違うのは、とにかく

 

「生きることに対する不安が減った」ことと、

 

 

「自分を愛する。ゆるす」

 

ということが分かったことです。

 

 

そう、2年半以上かけて、ゆっくりゆっくりと、「潜在意識」に変化が出てきたのです。

 

 

 

「潜在意識を書き換える」というと、なんだかスゴイことをするようですが、実は特別なことではないんです。

 

 

「なかなか潜在意識が書き換えられない」という人は、「潜在意識の書き換え」を、「なにかスゴイもの」と勘違いしていたりするんですね。

 

 

でも「潜在意識の書き換え」は、特別なことではありません。

 

 

それは言い換えれば

 

「クセを直すこと」

 

なんです。

 

 

実は、たったそれだけのことなんです。

 

 

そうしたら、すごくて偉い「カリスマ」の先生に、「心のブレーキ」を外してもらわなくてもいいって分かります。

 

 

 

「クセを直す」だけだったら、「確実に効くクスリ」があるんです。

 

 

それは

 

 

「繰り返す」

 

 

ということです。

 

 

なにか、特別な方法を期待した人には拍子抜けだと思いますが、特別な方法など、必要ありません。

 

 

だって、「クセを直す」だけなんだから。

 

 

鼻くそをほじるクセがある人は、それをやめればいいだけですよね。

 

貧乏ゆすりするクセのある人は、それをしなければいいだけですよね。

 

 

「鼻くそをほじるクセを直したいんです」

 

って偉い先生に相談する人いないでしょ?

 

 

それは、やめようと思えばやめられることなんです。

 

 

いわゆるセミナージプシーの人は、

 

「鼻くそほじるのやめたいんです」

 

って、たくさんお金払って相談しにいっているようなものなわけです。

 

 

なんで、そうなっちゃうかって、それは

 

「クセをなめてる」

 

からなんです。

 

 

言い換えると

 

「習慣のパワー」というものを見くびっている。

 

 

 

習慣の力を甘く見てはいけないのです。

 

 

潜在的な習慣のエネルギーはものすごいです。

 

 

じぶんでも「気づかぬうちに」やっていることばかりなので、誰かに指摘してもらうことが必要です。

 

 

誰か信頼できる人に指摘してもらいながら、何度も何度も繰り返し、繰り返し、じぶんの奥底に刷り込んでいく。

 

 

 

くり返せばくり返すほどに、ハラ落ちしてくる。

 

 

「わかったつもり」

 

 

になってみても、また何度も何度も繰り返せば、

 

「ああ、わかっていなかった」

 

ということが分かる。

 

 

 

 

だからこそ、ハラ生きには「仲間」や「メンター」が必要なんです。

 

 

「あ、またネガティブな捉え方が出たね」

 

「お、それはいつもの被害妄想だね」

 

「それ、愛されてない前提の発想やん」

 

 

とバカにしてもらう。

 

 

そこで自分の「愚かさ」に気づくことで、「じぶんの本質」に出会るわけです。

 

 

あなたには、じぶんの「愚かさ」を指摘してくれる「仲間」や「メンター」がいますか?

 

「鼻くそほじってるよ」

 

って気づかせてもらってますか?

 

 

その指摘を素直に受け入れ、愚直に実践を繰り返していく。

 

 

そこにしか本質的な気づきはないと思います。

 

 

ただ、フワフワしただけの上っ面の優しい言葉。

 

先人の叡知を、自分の都合よく解釈する。

 

エゴを喜ばせる関係性。

 

 

そんなものに甘んじているうちは、何も変わらない。

 

 

ぼくは、そう考えています。