「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

妻の愛し方~自分を愛でるように妻を愛でる~

前回記事の

 

が超絶、反響がありましてFacebookがスゴイことになってました。

 

というわけで今日は、その補足記事を書いてみたいと思います。

 

表題は「妻の愛し方」としました。

 

 

ウチは2008年の秋から一緒に住み始め、2011年4月21日に入籍しました。

 

いま結婚6年目、同棲を含めると足かけ10年ですね。

 

一緒に住み始めたときは、ぼく26歳、妻18歳ですから、某芸人さんのように淫行条例でつかまらなくてよかったなと思っています。

 

 

重ねたケンカは数知れず。

 

お互いビンタや張り手の応酬。

 

投げ技、抑え込み、ツボ攻撃…

 

罵詈雑言、大声いや絶叫、

 

壊したのはガラスの窓、トイレのドア、携帯、扇風機…

 

家の外で裸足でケンカ。

 

夜中の9時から朝の5時までケンカとか。

 

 

ケンカ中に嫁さんが何度も過呼吸でぶっ倒れました。

 

そのたびに呼吸が止まるので人工呼吸や「気つけ」をして…

 

おかげで気道確保が上手くなりました。

 

↓これね

 

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とまぁ、いろんなことがありましたが、

 

「どこよりもお互い向かい合ってきた」

 

ということだけには誇りがあります。

 

 

ちゃんとぶつかる。

 

逃げない。

 

なかったことにしない。

 

 

そこには気を付けて向き合ってきたつもりです。

 

 

 

さて、「向き合う」なんですが、もちろん「向かい合う」から来ています。

 

これはおそらく語源的には

 

「目、交いあう」

 

なんですね。

 

 

もちろん「目、交いあう」と言えば、「まぐわい」、つまりセックスなんです。

 

だから、妻と向かいあうというのは、

 

「常日頃から”セックス”する」

 

ということです。

 

 

もちろん、ここでいう「セックス」とは、「陰陽のエネルギー交流」のことで肉体のそれのことではありません。

 

ウチの妻の名言、

 

「朝から前戯ははじまってるんだからね!」

 

は多くの女性のこころの声を代弁しているかもしれません。

 

 

 

「マ行」は、ほとんど「目」です。

 

真っ直ぐ、真正面、まじめ、向かう、目指す。

 

 

すべて「目」に関連しています。

 

 

古語でも「見る」といえば「セックスする」という意味になりますね。

(高校のときは「結婚する」と習いましたが…)

 

 

そして、書いてて気が付きましたが

 

「女」

 

も「め」と読みます。

 

 

そして、「め」とは何かというと、これは「意識」のことなのです。

 

意識は僕らが「見ようとした」ところにいきます。

 

英語でいうとフォーカスですね。

 

 

 

ちょっと難しくなってきましたが、何が言いたいかというと、

 

「女性を愛するとは、”意識する”ということだ」

 

ということが言いたいのです。

 

意識するとは、心に留めるということ。

 

 

 

ともすると「オトコ」は、「自分の”目”標」に”向”けて、ゴール”目"差して、突っ走ります。

 

つまり「先」のほうに「目」を置いているのです。

 

 

 

しかし「オンナ」は、今ここに「目」があるので、ここにスレ違いが生じる。

 

 

「オトコ」は、

 

「その先のゴールでは、俺とお前は一緒なんだ!」

 

ということでワクワクする。

 

 

けれども「オンナ」は

 

「それはいいけど、あなたは今、ここにいないじゃない!」

 

というふうに感じる。

 

自分が「いま、ここで」、相手の目の中に入っていないことに、さみしさを感じるのです。

 

 

このズレは思考の構造上しかたないのです。

 

しかし、そのズレを埋める方法があります。

 

 

 

それが

 

「見つめ合う」

 

ということなのです。

 

 

レーザービームの視線で、見つめ合う。

 

 

すると「オンナ」は

 

「ああ、この人の瞳に私が映っている」

 

と安心する。

 

 

そこでやっと、「オトコ」がこぎ出す船に乗れるのです。

 

 

けれども定期的に不安になる。

 

 

だから、定期的なケアが必要になる。

 

 

そのために

 

「見つめる」

 

「見つめ合う」

 

「向かい合う」

 

ということが大前提です。

 

 

そして「向かい合った」結果、生まれてくるものを大切にする。

 

 

いま、ウチの夫婦では週に1度は2人デートの時間を取るようにしています。

 

子どもも大事なんですが、まずは妻ありき。

 

そして妻の調子が悪ければ、整体でもマッサージでもする。

 

なんなら風呂上りにドライヤーまでして、髪をとかす。(そのために、「みねばり」の櫛も買った)

 

皿洗い、洗濯をする。

 

「愛してるよ」「大好きだよ」「可愛いね」の3大声かけ。

 

 

たとえば、そんなことが「向かい合った」結果、生まれてきたことなので大切にしています。

 

それが、ぼくなりの「妻の愛し方」です。

 

 

そして、こうやって「妻の愛し方」を研究していくなかで、ぼくは「自分の愛し方」も学んできた。

 

「妻を愛せない部分」は、かならず「自分をゆるしていない部分」だった。

 

 

 

「感情的すぎる!子供じゃあるまいし!」

 

と妻に対してイライラしていたとき、ぼくは

 

「子どものように感情的であること」

 

を自分に対してゆるしていなかった。

 

 

いや実際には子どものように感情的な部分もあるのだが、そんな自分を責めていたのだ。

 

 

そういうことを、ケンカし、そして愛するなかで気づいていく。

 

 

それがハラ生きというものなのです。

 

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