もっと貪欲に、さらに傲慢に、そして純粋に。
謙遜はクソ!
謙虚はウンコ!
「ありのまま」は即刻廃止!
「私なんてまだまだですから…」
「いえいえ、大したことないです…」
「とんでもございません…」
これらは全部、「逃げ」の言葉だ。
何かうまくいかなかったとき。
効果が出なかったとき。
誰かに批判されたとき。
そういうときのための予防線を張っておくための謙虚さ。
これはまったくのクソだ!
ぼくらはもっと、じぶんの「欲望」に対して素直になっていい。
欲しいものは欲しいと言い、要らないものには要らないと言う。
このスッキリとした気持ちよさを体感セヨ!
ぼくらはもっと貪欲になっていい。
傲慢になっていい。
そう、「欲しいものは欲しい」と声を大にして世界に放っていけばいいんだ。
ただ、ここにはひとつ秘訣があって、
「じぶんの”純粋な”欲望にフォーカスせよ」
ということなんだ。
「純粋な欲望」とは何か。
それは自分の「内側(ハラ)」から発せられる欲望だ。
ぼくらは、容易に自分の欲求をブラしてしまう。
都会に出てみれば、「ニセの欲求」を刺激するものばかりが溢れている。
そういうものに目が眩んでしまえば、それはもちろん苦しい。
なぜ、他人からの刺激で、要らないものを欲しいと思ってしまうのか。
それは、ハラがスカスカの腑抜けになっていて、内側の「純粋な欲求」にアクセスできないからなんだ。
「からだの土台」がなくて、内側からあふれ来る欲望に気が付かないから、他者から提示された「欲しいもの」に飛びついてしまう。
けれどもそれは手に入れてもどこか虚しい。
そういうものが、今までもたくさんあったでしょう?
欲しくて欲しくて仕方なかったけれど、手に入った途端、どこか虚しい気持ちになってしまった。
そういうときは、欲しくもない「ニセの欲求」に振り回されていたということなんだ。
ニセの欲求は、感情的で衝動的で執着がある。
「どうしても欲しい」
「絶対、手に入れたい」
「あれがなきゃダメ」
そういう「血眼感」がある。
それに対して「純粋な欲求」は、フラットで、にこやかで、それでいて確信的だ。
「手に入るに決まっている」
「いつか自分のものになりそう」
「ほっとけば、寄ってくる」
そういう安心感につつまれているのが「純粋な欲求」だ。
あなたは、この違いを感じ取ることができるだろうか?
感情的で衝動的な「ニセの欲求」にばかり、躍らされていないだろうか?
もし、この違いが分からないなら、すぐにでも「ハラ生き」にシフトしたほうがいい。
なぜなら人生は短いから。
「ニセの欲求」に振り回されたまま人生を終えるの?
それって、すごくもったいないぜ。
「ニセの欲求」に惑わされているうちは、何をやっても満足感がない。
満たされない。
どこか焦っている。
フワフワしている。
というのが続いてしまう。
もし、そんな自覚があるのならまずは、このメルマガを読んで実践してみてほしい。
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これでダメなら、セミナー来いやあああああw