あなたの才能は「誰かの幸せを願うとき」に開花する。
たぶん、ぼくらは一人では生きていけなくて。
「生きることとは、誰かを愛し、そして愛されることだ」と辞書に記載してもいいくらい、いつでも「誰か」を必要としている。
だからこそ、いまここに「誰か」がいてくれることって素晴らしくって、たといそれがクソ野郎だとしても、実は「目の前にいてくれる」ってことに価値があったりするんだよね。
ぼくが最近とみに思うのは、
「自分をハラの底から喜ばせようと思ったら、目の前の人を幸せにする」のがいちばん手っ取り早いと思うんだ。
「目の前の人の幸せ」だけを願うとき、ぼくらは死ぬほどピュアになる。
ピュアになると透明になる。
透明になると「自我」のエネルギーが抜けて、「大いなるハラの力」が、からだに流れ込んでくる。
セミナーでは、そういうのを「体感」してもらうんだけど、「自我」のエネルギーと「大いなるハラのエネルギー」って、もう全然、「質」が違うんだよね。
それは、誰にでもわかる。
なんでかって、「大いなるハラのエネルギー」は「気持ちいい」から。
「自我」のエネルギーは「気持ち悪い」んだよ。
だから、すぐにわかるんだ。
それでね、「大いなるハラのエネルギー」が、からだに流れるってことは、ちょっと飛躍するんだけど、
「才能が開花する」
ってことなんよ。
そう、ぼくらは「自我」のエネルギーを限りなくゼロに近づけていくと、「無」になるんじゃなくて逆に「個性的」になっていくんだよ。
ここ、ポイントだよ。
どうしても「自我」をなくすと、なんか「自分」もなくなっちゃうような気がするんだけど、本当は正反対なの。
「自我」のエネルギーを減らしていくと、「個性」が出てきて、「才能」が開花し、「役割」がハッキリしてくるの。
これをまとめていくね。
まずは「目の前の人をいかに幸せにするか」ばかりを考える。
笑顔?
やさしい言葉がけ?
ハグ?
お金をあげる?
知恵をあげる?
話を聞いてあげる?
一緒に酒を飲む?
いろいろあるよね。
ほんでね、その中で「得意なモノ」が、あなたの「才能」なのです。
ビジネスが得意な人は、お金を出せるのが才能だよね。
美人の人は、笑顔が才能だよね。
もしくはダイナマイトボディが才能かもしれない。
肝臓が強い人は、ともにお酒を飲んで、誰かを幸せにする才能がある。
話を聞くのが上手な人は、それだけで人を幸せにできる。
絵を描いて、文章を書いて、歌を歌って、人を幸せにする才能を持っている人もいるよね。
アタマがハゲていれば、ハゲネタをやるだけで、目の前の人を笑わすことができるかもしれない。(その意味ですべての欠点は長所。デブもブスも)
さぁ、あなたなら、どうやって目の前の人を幸せにする?
なんでもいい。
やれる範囲でいい。
誰かのマネをしなくていい。
ただ、純粋に、「目の前の人を幸せにしたい」と思ったときに、あなたは何をするだろうか?
そのとき、パッと思いつくのが、あなたの才能なのです。
思いつかない人は、とにかくガムシャラにやればいい。
そして、ときに嫌がられ、ときに疎まれながらも、だんだんと「自分の人を喜ばす才能」に気が付いてくるでしょう。
さぁ、あなたは誰をどんなふうに幸せにしたい?
それを考えることが、「なくならない幸せ」につながっていくのだと思う。