「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

迷ったときは「自分を好きになるほう」を選べばいい。

ハラ行き道を極めていくなかで、

 

「これはエゴの声なのか? ハラの声なのか?」

 

と迷う場面が出てくると思う。

 

 

そんなとき、あまりに迷いすぎると行動できなくなったりするし、一体どうすればいいのか?

 

今日は、そんな疑問に答えてみたいと思う。

 

 

誰しも選択で迷うことはある。

 

「どっちにすればいいの?」と誰かに答えを聞きたくなるときもある。

 

 

それに対するよくある質問は

 

「本当はどうしたい?」

 

だ。

 

 

この問いかけによって、いわゆる「ホンネ」が出てくることもある。

 

 

けれども、この質問だけでは、さすがに片手落ちで、もうすこしサポートが必要な場合もある。

 

 

つまり「本当はどうしたいか」が分からないケースだ。

 

 

これは、今まで自分を抑え込んできた人には、よく見られるケースで、別段めずらしいことではない。

 

 

「何がしたいか分からない」

 

「ほんとうに好きなものが分からない」

 

「どっちを選んでいいかわからない」

 

というのは、現代人が意外に多く抱える悩みなのではないかと思う。

 

 

それに対するぼくの答えは、基本的には「からだをゆるめましょう」ということになる。

 

 

からだが硬いと、自由な考え、柔軟な発想、ほんとうの自分の声が浮かんでこなくなる。

 

 

いわゆる「アタマが固い」という状態になっているからだ。

 

で、ゆるめ方はこれね。 

ただ、違う観点からの解決法もあるので、今日はそれをお話しします。

 

 

それが

 

「迷ったときは、”理想の自分”が選ぶであろうほうを選ぶ」

 

という方法だ。

 

 

 

「これはエゴの声なの?ハラの声なの?」

 

 

そんなふうに迷ってしまったら、一旦その問いを脇におき、「ありたい自分像」をきちんとイメージする。

 

 

「傍から見てカッコいい、惚れてしまう、素敵な自分」というのを鮮明にイメージしていく。

 

 

「そして、その自分ならどうするか」という観点で選択していくのだ。

 

 

そしたら、間違うことがない。

 

 

「ありたい自分」になって選んだ自分は「ありたい自分」なんだから、とても気持ちがいい。

 

 

これは、言い換えると

 

「自分を好きになる選択をしよう」

 

ってことでもある。

 

 

だいたい、エゴで行動すると、そのあと自分を嫌いになってしまう。

 

だから逆にいえば、自分を嫌いな人は今までエゴの選択を採用したきたんだと思う。

 

 

 

たとえば、アンジェリカに、いや道ばたに、1万円札が落ちていたとしよう。

 

 

そのとき、拾うか拾わないか、警察に届けるか、ネコババするか。

 

いろいろ、アタマに選択肢が浮かぶはずだ。

 

 

もちろん、いちばん「得」をするのはネコババで、財布に1万円増えるわけだから、その日オイシイものでも食べられるかもしれない。

 

 

しかし、それは「自分から」見た視点であって、そんな「自分を」見てみたら、それはダサくてカッコ悪いと感じるだろう。

 

 

そうして、また自分を嫌いになってしまう。

 

そして「ありたい自分」から離れるわけだから、また苦しくなる。

 

ハラも動かなくなる。

 

「本当にやりたいこと」も分からなくなる。

 

という悪循環に陥るのだ。

 

 

だからまず迷ったときは「ありたい自分」に立ち戻ることだ。

 

そうして「理想的な自分ならどうするか」

 

 

その観点で物事を選択していく。

 

 

座り方、立ち方、歩き方、話し方。

 

そのすべてを「理想的な自分」で演じていく。

 

 

それが「立派なじぶん」になっちゃうと、また苦しくなるんだけどね。

 

その話は長くなるので、また今度に。

(簡潔にいうと、「理想的な自分」はじぶんが主体、「立派なじぶん」は世間が理想的と思うあり方。)

 

 

とにかく「こんなふうでありたい」という、シンプルな思いによって動いていく。

 

 

そしたら、それがハラの声と思って大丈夫だから。

 

OK?

 

じゃぁ、あとは実践あるのみだ!