「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

行動・実践してないやつが質問するのは100年早いんだよ。

質問のしかたを間違えると、絶対的にマトモな答えが出てこない。

 

逆に、マトモな質問をすることができれば、それはほぼマトモな答えが出ているのと同じなのだ。

 

 

「質問をする」というのは、やる気のある学習態度のように見えて、実は「逃げを打っている」こともある。

 

 

たとえば、ヴァイオリンの先生に対して

 

「どうやったらヴァイオリンが上達しますか?」

 

「ヴァイオリンの弾き方、教えてください!」

 

「ヴァイオリンが上手く弾けないんですが、どうすればいいでしょう?」

 

という質問をしていたら「こいつはアホだ」と誰でもわかるでしょう。

 

ごちゃごちゃぬかさず、その時間をつかって練習しろよと。

 

 

その質問をラーメン屋の店主にしていたら、もっと笑えてしまう。

 

だから「誰に、どんな質問をするか」ということが、ほんとうに大事なんだ。

 

 

 

そして、もっと大事なことは

 

「練習」をしていない奴には、質問をする資格などない

 

ということだ。

 

 

そう、「質問」とは、つねに歩き続ける人が、その先を歩き続けている人にヒントをいただく行為なんだ。

 

 

それを食材を買ってもいないやつが、

 

「ビーフストロガノフって作るの難しいんですか?」

 

「H先生の料理の腕前についてどう思いますか?」

 

「〇〇の本を読んだら、ちゃんとカレーが作れますか?」

 

なんて質問をするなんて100年早いんだよ。

 

 

まずは自分で作りたい料理を決めろよ。

 

それから「自分で調べて」、食材くらい買ってこいよ。

 

そいで、包丁でジャガイモでも切ってみろよ。

 

そこではじめて

 

「ジャガイモとお肉って、どっちを先に入れるんでしたっけ?」

 

という質問が可能になる。

(それさえも今はグーグル先生に聞けばいいが…)

 

 

逆にいえば、そこまで行動するまでは、質問なぞする権利はないのだ。

 

 

しかし、腰が重く行動しない人ほど、質問が好きだったりする。

 

それは「質問」しているようで、行動から逃げているだけなのだ。

 

 

「〇〇はどうすればいいですか?」

 

「△△って、××なんでしょうか?」

 

「自己否定が消えないんですが…」

 

 

知らねえよ。

 

 

ぼくは、それについての回答はずっと同じことを書いてきている。

 

 

「ハラの感覚をつかむこと」

 

「からだをゆるめろ」

 

「軸を立てろ」

 

などなど、言い方は変えているが一貫して「からだの内側をうごかす」ということを伝えてきているはずだ。

 

 

そして、そのやり方までも 

こういったメルマガなどで無料で公開している。

 

 

それも実践しないで、おぜっきーに聞いてもムダだよ。

 

 

しかも、くだらない質問してくるやつに限って、おれが回答するとお礼の返信もなかったりね。

 

 

お前の納得いかない答えだったか知らねぇが、質問して答えてもらったらお礼くらいしろよな。

 

おれ、そういうやつは「ともだち」と思ってないから。

 

 

 

とにかくMAXに愉しいハラ色の人生にシフトしたいなら、

 

体験・体感・体得

 

だよ。

 

 

これしかない。

 

からだが動いてないのにアファメーションはきかない。

 

からだの反応しないイメージや思考は実現しない。

 

 

もうちょこざいなテクニックに走りなさんな。

 

小手先の方法論に振り回されんな。

 

 

愛だの光だのほざいても、そのあり方が「身について」なきゃ意味ないんだよ。

 

 

理想論を語って分かった気になるのが、いちばん危ないんだ。

 

地道に、コツコツ、のんびりゆっくり「からだの軸」を養っていこうよ

 

 

逆転ホームランをねらう質問はもうやめようよ。

 

あなたのズルさ、ハッキリ言ってバレてるよ?

 

 

口じゃなくて、脚を動かすんだ。

 

四の五の言わずに、腰を上げてみよう。