からだの軸をつくる【動画編】 ~軸はあって当たり前~
最近は「からだの軸」の研究が面白くて仕方なく、そればかりやっている。
それで、こんな動画をつくってみました。
これは「からだの軸」をつくるとつくらないで、からだの「強さ」がぜんぜん違うよ、ということを示した動画です。
見てもらえばわかるとおり、BEFOREが「軸を作っていない状態」でAFTERが「軸を作った状態」です。
「軸をつくった状態」だと、押されたり持ち上げられたりしても、ほとんど動かない強さを手に入れています。
またこの状態になると、不思議と精神的・心理的にも「強い」状態になっています。
で、まぁ、こういうパフォーマンス動画はよくあるんですが、ハラ生き道の面白いところは、「からだの軸」を「あるかないか」で捉えていない、ところです。
いや、ぼくも以前は「センターマッスルのオンとオフ」というように電気のスイッチみたいに考えていたんですね。
けっこう「オンとオフ」の考え方の流派って多いように思います。
「気が通っている/通っていない」
(キネシオロジーで判断して)「いい/わるい」
「力が入る/入らない」
(軸が)「ある/ない」
というように。
しかし、最近のハラ生き道では、「センターマッスル」や「ハラ」はONなのが当たり前という考え方になってきています。
アウターマッスル的なもの・外側の力・雑な力は論外という考え方です。
上記の動画では「からだの軸」を立てることで、「つよいからだ」を手に入れています。
でも、それを「まだまだ出来ていない」と捉えるのです。
たかだか上の動画のレベルで「できてる」というふうに捉えてしまえば、それ以上の愉しみはなくなってしまいます。
けれども、軸というのは、どこまでも精密に、どこまでも繊細に、どこまでも美しくできるものなんですね。
上記の動画でお見せしたものは、たかだか1日でできるレベルのものなんです。
でも「からだの軸」はもっと面白いものです。
一生たのしめる奥深さをそなえています。
精密な「からだの軸」を立てていくこと、そしてその軸を「保つ」ということ。
それが、またさらに愉しい。
「からだの軸」は、ほんの小さなことで、すぐに崩れてしまう。
たとえばウソをつく。
驚いて気が上がる。ビビる。
意識がそれる。集中力が切れる。
アタマで考える。
たったそれだけのことで、ふっと軸がなくなってしまうんです。
そんな繊細な「からだの軸」を保ち続けるのは至難の業。
だからこそ、愉しさがなくなることがないのです。
だから、おぜっきーも、まだまだできていません。
逆に、一生完成するつもりもありません。
成長するプロセスを愉しみ続けるのがハラ生きだからです。
「できた」と思った瞬間に、人は老い始めます。
ハラ生き道では、「一生青春」でからだを遊び続けます。