「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「ためらわない力」を養えば、淡々と進んでいける。

ハラが指し示す直感によって動きはじめると、

 

「自動運転」

 

という表現がしっくりくるような行動が増えてくる。

 

 

なんでか分からない。

 

でも、進む。

 

ただ、進む。

 

 

そこに乗っているだけ。

 

 

すると景色も変わるし、アップダウンもあるから、感情が動く。

 

急にスピードアップすると怖くなるし、スローダウンすれば焦ってイライラしたりする。

 

 

けれども、その感情をなんとかしようとはしない。

 

 

ただ、感じるのみ。

 

 

そうすると、その感情こそが「よろこび」なのだというふうに感じてくる。

 

 

「よろこび」という感情なのではなくて、「感情はすべて”よろこび”である」という感じだ。

 

 

 

「なんとかしよう」がなくなることはつまり、「人生をまるごと味わう」ということだと思う。

 

 

来るもの拒まず、去る者追わず。

 

かつ、好きなもの来るとき喜び、嫌なものくるとき嫌がる。

 

好きなもの去るとき悲しみ、嫌なもの去るとき喜ぶ。

 

 

「できごと」も、そこからくる「感情」も、まるごと全部、味わってしまう。

 

 

すなわち「感情は充分に感じるけれども、感情に振り回されない生き方」ハラ生きなのだ。

 

 

 

とはいえ、いかにそれが難しいことか。

 

 

ついつい感情に合わせて加速や減速をしてしまう。

 

見通しのいい道路があれば、気が逸り、スピードをあげる。

 

カーブがあれば、減速したくなる。

 

 

これは人生を「くるま」だと考えているからだ。

 

クルマは基本的に「自力走行」。

 

自分でアクセルを踏んで、加速減速を調整し、ハンドルを切る。

 

 

けれども実は、生きるということは「ジェットコースター」のようなものらしい。

 

 

つまり「完全に手放し」でも、「勝手に加速や減速」をし、「カーブも曲がり切る」し、「しかも安全なもの」らしい。

 

 

あとは、そこへの信頼だ。

 

 

では、いかにしてその信頼をつくっていくかというと、それは「ためらわない力」を養うことだ。

 

 

「ためらわない力」があれば、自分勝手に加速・減速しないで、ハラでぐっとこらえて、感情をまるごと愉しむことができる。

 

 

逆に、

 

「こうなっては困るな」

 

「こうなってはイヤだな」

 

「あんなふうにならないか心配だな」

 

という「〇〇は受け取りたくない」という潜在的な思いが強いと、どうしてもためらってしまう。

 

 

「こうなったら怖そう」

 

「××な思いはしたくない」

 

「これは危なそう」

 

これらの不安によって「ためらい」は大きくなり、減速、ひいては停止してしまうこともある。

 

 

いや、正確に言えば「不安」に乗っ取られたがゆえに、減速・停止してしまうのだ。

 

 

このとき「ためらわない力」があれば、不安を感じながらも「等速」を保つことができる。

 

 

「やべぇ、やべぇ」と思いながら(あるいは言いながら)でも、進む。

 

「こえええええ!」と叫びながらでも、止まらない。

 

「死ぬうううう」という恐怖のなかでも歩み続ける。

 

 

それが、「ためらわない力」だ。

 

 

では、どうやってその力を養っていくかというと、それが

 

「からだをクリアにしていくこと」

 

なのだ。

 

 

からだが詰まっていれば詰まっているほど、同じ過重(ストレス)を重く感じる。

 

ハラ生きでは、そのストレスをなくすことではなくて、こちらが「ゼロ」に近づくことで、ストレスを「通過させる」という考え方を採用している。 

 

筋肉を増やしてからだを強くするのではなく、

 

「ストレスを通過させる」

 

それが、ハラ生きクリアボディの真骨頂なのだ。

 

 

そんなクリアボディ養成法を、このメルマガで紹介していたのだが、どうしても文章だけでは伝わりにくいので、今回、「動画メール講座」を作ってみた。

 

「ためらわない力」を養成したい人は、読んでみてほしい。