邪魔されているんじゃない。自分の「中心」を試されているんだ。
何かをはじめるとき。
やっと「やりたいこと」が見つかったとき。
あたらしい情熱に燃えているとき。
そんなときに限って「邪魔」が入ることがある。
そして、その「邪魔もの」に意識が向いてしまうとき、「邪魔もの」は、ほんとうに「邪魔」になってしまう。
つまり、自分の中心から意識がズレて、「外側にあるもの」を否定しはじめたとたんに、ぼくらは「邪魔もの」に邪魔されてしまうのだ。
「外側の出来事」にフォーカスしてしまうことを「よこしまなこころ」という。
「まっすぐなこころ」が「よこ」にズレてしまったいるのだ。
こころがまっすぐなとき、ぼくらの道に「邪魔」は入らない。
そもそも「邪魔」なんてものは、じぶんのこころの中にしか存在しないのだ。
いわゆる「邪魔」が横やりを入れてくるとき。
それは、ぼくらの中心が試されているときだ。
こころとからだの軸がブレていないか確認されているのだ。
どんなに「邪魔」と思えるものも、こころとからだの軸が整うと、なぜかどこかに雲散霧消してしまう。
そう、大切なことは「邪魔なものを排除する」ことではなく、「まっすぐに歩くこと」なのだ。
自分の中心に還って還って還りつくす。
そして、そこにある「よろこび」や「やすらぎ」や「せつなさ」にアクセスしてみる。
そこから湧き出る「感謝」。
どうも、このエネルギーが「邪魔もの」の”よこしまなエネルギー”を溶かしてしまうらしい。
それは実際には、「感謝」によって自分の内側の「よこしまなこころ」が、どろどろと溶けていくときに、それを反映している「外側の邪魔もの」も同時に消えてしまうということらしい。
だから、「やる気」になっているとき。
さあ、がんばろうと思っているとき。
今からやるぞという気持ちのとき。
それがエゴからくるものであれば、どうしても「他人」のエゴに邪魔される。
しかし、それは本来的には「邪魔」ではなく、エゴをそぎ落としていく「みそぎ」の働きなのだ。
だから今、積極的に何かをやろうとしていて邪魔が入るようなら、いま一度、自分の「あり方」を見直してみてもいいかもしれない。
「スゴイ」と思われるために、がんばろうとしていないか。
「他人に勝つ」ために、やる気を出していないか。
「自分がやるんだ」という傲慢な気持ちになっていないか。
そうやって、あらためて自分の中心にアクセスできたとき、きっと目の前の「邪魔もの」は消えているだろう。
ハラ生き道ではからだを通じて自分を見つめることで、自分の中心にアクセスする方法をお伝えしています。