「ゆるんでから言え」 ~それは本音じゃぁ、ないよね~
「自分の気持ちに正直になる」と言っても、その「自分の気持ち」が自分で分からないときってある。
それはどういうときかと言うと、「気持ちがうわずっているとき」。
おぜっきーは、それを「意識があがってるとき」って言っているけど、「浮ついてる」とか「外側の筋肉ガチガチ状態」とも言える。
そんなときに、「自分の気持ち」を探ってもさ、「本音」なんか見えてきやしないんだよ。
たとえばさ、嫁さんとケンカして激昂してる最中に、
「本当は、いまどうしたい?」って聞かれたら、
「もう金輪際、一緒にいたくない。離婚したい」っていうような気持ちしか出てこないんだよね。
だけども、ケンカも収まり、気持ちが落ち着いてくると、
「いやいや、よく考えたら感謝することだらけだし、一緒にいたいし」
っていう気持ちになってくる。
いつもそう。
なんだかカラダ(呼吸)が詰まってくると、休日も一緒にいるのが苦痛になり、一人になりたくなる。
そんなときに「あなたの本音は?」なんて聞かれたら、「やっぱり独身のが気がラクでいいよ」って、言っちゃうかもしれない。
けど、カラダがクリアで呼吸がスムーズなときは、「やっぱり結婚してよかったなぁ」って思う。
そのどっちもを「本音」と言うこともできるかもしれない。
たしかに、「気持ち」はその時々におうじて変わるからね。
でも、ハラ生き道では、なるべくクリアな状態になってから「気持ち」を確認することを進めています。
つまり「ゆるんでから言え」ってこと。
そのほうが、後悔が少ないと思うんだよね。
激昂して、感情的に離婚しちゃって3日してから後悔するとかイヤだなーって、ぼくは思うわけ。
それで、おぜっきー的にゆるむためには、まず「都会から離れること」っていうのを大前提にしているよ。
都会には、表層的な欲望ばっかりが渦巻いている。
いわゆるエゴとエゴのシーソーゲームが日々、行われているわけです。
そのエゴとエゴが行き来しているなかで、「ハラの声」なんて聴こえないんだよね。
雑音が多すぎて。
静かな場所で、落ち着いて、生と死を見つめながら、ゆっくりと深いところにいる自分と、出会っていく。
すると、今まで欲しがっていたものが「他人の欲求に踊らされていただけ」だったことに気づく。
「深いところの自分」に出会うと、「ほんとうに必要なもの」は、驚くほど少ないのだと気づく。
そうやって、「自分の中心に近いところの欲求」が見えてくるには、身心の水面がおだやかである必要があるんだよね。
明鏡止水ってやつだね。
で、そのためには、「カラダの気持ちよさ」を思い出すことが大切なんだ。
つまり、「呼吸が気持ちいい」ってどんな感じかを思い出す。
「息をするだけで嬉しい」、赤ちゃんのココロを取り戻すってことなんだ。
そしたら「欲するー手に入れる」っていう喜びから、「今、ここにあるものに感謝する喜び」っていうステージに移行していくと思うよ。
それを極めていくのが、ハラ生き道なのであります(^^)/