エネルギーや波動を高めるってのは「好かれる」ってことなんだよ。
ぼくはさ、「波動を高める」っていう言い方は好きじゃないんだよ。
そのフレーズは「変える」っていう波動を含んでいるから。
そして「変える」ってのは、たぶんに「否定」の要素をもっている。
それに加えて「高める」っていうのは「今は低い」という潜在的な刷り込みになり、なおかつ、「高い/低い」の二元論に陥りやすい。
すると、「私は高い」だの「憧れのあの人は、波動が高い」だの、「〇〇さんや、あの派閥は波動が低い」だの、という話になってくる。
で、なんでそんなややこしい話になってしまうかというと、それは
「客観的なモノサシがある」という誤解
が前提になっているからなんだね。
「客観的な、絶対的な、あるいは普遍的なものがある」という前提というのは、争いを生みやすいのです。
でもね、そんな「みんなを共通にはかれるモノサシ」なんてないのです。
たしかに「多くの人が使っているモノサシ」はありますよ。
稼いでいるお金の量とか、もっている資産の量とか、アクセス、「いいね!」の数とかね。
でもそれは、「客観的で絶対的で普遍的なモノサシ」ではないのです。
あくまで「これを基準に考えると、便利じゃない?」程度に決められた「適当なモノサシ」なのです。
けれども実際には「人間を全体的に、ホリスティックにはかるモノサシ」なんてのはない。
ドラゴンボールの「スカウター」があればいいですけどね、あれでも測れるのは「戦闘力」だけで、人間力とか優しさは測れないのです。
なぜかというと、それは「相手によって変わる」からです。
それを「相対的である」と言います。
そう、エネルギーや波動というのは、あくまで「相対的な見方」「二次元的な見方」でしかないのです。
(一元で見たら、すべて同一エネルギーだしね)
じゃー、人間の「評価」というのは、どうやって決まってくるかというと、それは
「好かれているかどうか」
です。
たとえばAさんがBさんを好きだとします。
すると、AさんにとってBさんは「波動の高い人」「エネルギーのある人」になります。
けれどもCさんはBさんを嫌いだという場合、CさんにとってBさんは「悪い波動の人」ということになります。
そしてBさんじたいは、実際には「波動の高い人」でも「波動の低い人」でもないということです。
その評価は、あくまで「相対する人」によって決まってくるのです。
だから、もし「波動を高めたい」とかなんとか思っているのなら、修行をすることよりも「好かれる」ということを念頭に置いたほうが近道です。
こんなことを書いている僕ですが、↓
やっぱり愉しく生きていくには「好かれる」ということが大事なのです。
ふつうに考えて、みんなに嫌われて生きていくなんてイヤじゃん?www
だから「好かれる」ということが大事になってくるのですが、そのコツというのは「受け入れる」ということなんですね。
だいたいね「好かれよう」と思っている人は嫌われてますwww
けれども「受け入れよう」と思っている人は好かれています。
ぼくも、ぼくを受け入れてくれる人が好きです(笑)
で、受け入れるとは具体的にはどういうことなのかというと、
「その人にあってもカラダが緊張しない」
ということなのです。
多くのスピ・精神系は、この具体的事象が見えてないからフワフワしちゃうんだよね。
カンタンなことが見えてない。
ぼくらはキライな人に会うと、カラダが固まり息が浅くなる。
そして、その微妙な緊張は相手にも伝わる。
それが「生理的にイヤ」ということの正体なのです。
けれどもそれは先天的なものではないので、ちょっとした呼吸法なんかで、割とカンタンに改善できたりする。
すると、その人の「幅」が広がり「器」が大きくなるのです。
つまり結論としては超シンプルかつカンタンで、
「いろんな人にあっても身体が固まらない自分を育てればいい」
ということです。
なるべくリラックス状態を保ち、深い呼吸の状態で相手に会えば、相手は
「受け入れてもらえた」
と感じます。
すると、あなたは好かれることになり、結果的に相手からは「波動が高い」と思われるようになります。
そして、どうしたら「リラックス状態や深い呼吸の状態を保てるか」と言えば、日常の中で、「どれだけ自分のカラダに気づけるか」ということなのです。
そして「気づき続けている」というのがハラ生きの根本になります。
そのあたりの方法と理論についてはここに書いてみたので、興味ある人はよかったら読んでみてくださいね♪