「覚醒」したつもりが「酔っ払い」から「別の酔っ払い」にシフトする人々
「熱さ」というのは非常に面白いもので、人から人へと伝染する。
一人の「熱いオトコ」がいると、そこから熱量が感染していくのだ。
そして、その情熱が、誰かの人生を変えたかのように見えることがある。
そして、その情熱が、理由はないけど素晴らしいものだと感じることがある。
けれども、ある箇所で熱量が増えれば、その分がどこかで冷めているのだ。
誰かが熱くなればなるほど、どこかで冷たくなっている人がいる。
これが、2極ある3次元世界の摂理なのです。
ぼくは、「覚醒していく」というのは「自分に出会っていくこと」だと定義している。
それはたとえば「私なんて死んだほうがいい」とネガティブになっている人が、「私は素晴らしい!」とポジティブになることではない。
もともとネガティブな人が、熱量にほだされてポジティブになるのは、「覚醒」とは言わない。
それは「再び洗脳された」というのです。
つまり、ビールを飲んで酔っ払っていた人が、今度は焼酎で酔っぱらうようなものです。
で、当然のことながら「酔っ払い」というのは、異常な状態なので、ほおっておけば覚めるわけです。
けれども、「異常な状態」が「当たり前」になってる人たちは、そのときにとても不安になる。
「情熱がない」
「モチベーションがない」
「やる気が出ない」
と心配になる。
それでまた「注射」しにいく。
つまりセミナーや講演会で「情熱」に感染させてもらったり、誰かに心酔し、崇拝し、そこに居場所があったと、エゴを安心させる。
しかしもちろん、その「熱」もすぐに覚めてくる。
そしてまた、洗脳されにいく。
その無限ループは、けっきょくのところ「ほんとうの自分を見つめたくない」という欲求から来ているのです。
クソな自分を観たくない。
ネガティブな自分を認めたくない。
弱い自分を受け入れられない。
そういった「逃げ」の気持ちがあるから、「すごい人」に酔っていたい。
けれども、「すごい人」に酔っているうちは、「ほんとうの自分」なんて見つかりっこない。
だから、ここでハッキリ言っておこう。
「スゴイ人」などどこにもいないと。
あなたが憧れる「スゴイ人」も、ふつうに悩んでます。
あなたが崇拝する「スゴイ人」も、ふつうにミスってます。
あなたが尊崇する「スゴイ人」もエロくて不倫してます。
あなたが心酔する「スゴイ人」も、ズルいことばっか考えてます。
あなたが礼賛する「スゴイ人」も、健康問題かかえてます。
あなたが傾倒する「スゴイ人」も、人間関係トラブってます。
それでも、まだ「スゴイ人」に酔っぱらう?
だからさ、「熱量」には注意が必要なんだ。
「熱量」があっても、言ってることが矛盾してる、具体的な策がない、って場合は、だいたいその人が自分に酔っているだけなんだよね。
そのあたりを見極めつつ、「熱量」に洗脳されるだけじゃなく、自分を見つめていくといいと思うな。
ちなみに、ハラ生きセミナーは、笑いはあるけど、そんなに「熱量」はないんで、安心してくださいwww