「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「得すること」「うまくいくこと」から「なんか愉しいこと」へ。

今まではさ、

 

「得すること」

 

「うまくいくこと」

 

にのみ価値があったんだよ。

 

 

だから「得してて」「うまくいっている」人にフォーカスがいってて、「すごい人」ってみなされてたんだよね。

 

 

だから「損してて」「うまくいってない」人は、自分を責めて否定して、自分には価値がないなんて、感じてたりしたんだよね。

 

 

 

もちろん、おぜっきーもその価値観にどっぷり浸かっていて、整体院をオープンしたときなんか「成功」にしか興味がなかった。

 

 

「うまくいって」「成功して」はじめて自分の価値を感じて、「負けないように」「バカにされないように」「誇らしげな成果を見せつけられるように」、めっちゃ頑張ったよ。

 

 

ただ、そんな頑張り、長くは続かないよねぇ。

 

 

おぜっきーも、その頑張りにだんだん疲れてきたし、やっぱりなんか違和感を感じてたんだよね。

 

 

それで2014年くらいから「ハラ生き」にシフトしてきたんだけど、最近は嫁さんも

 

「あなた変わったよねぇ」

 

と変化を認めてくれます。

 

 

でもさ、おぜっきーはまだどこかで「うまくいきたい」を持ってるんだよね、正直なところ。

 

 

けど「アホな生き方」を提唱している以上、自分がバカにされることを恐れてちゃつまらんなと思うわけ。

 

 

だから、今後さらに、いろいろぶち破っていきたいと思うよ。

 

 

バカにされる怖さを乗り越えるぜ!

 

 

 

そう、「ハラ生き」に「うまくいく」とか「成功」とかって概念がないんだよね。

 

そうじゃなくて

 

「みんなうまくいってる」

 

「みんな成功してる」

 

っていう哲学だから。

 

 

それに「ハラ生き」には「下手くそ」「失敗」にも価値を置くんだよね。

 

 

おぜっきーっていう人は、もともと非常に「一流主義」でね。

 

 

なにかこう、「修行されて極められて完成されたもの」にのみ価値を置いてたんだよ。

 

 

だから、中途半端な作品、サービス、芸術なんかを見ると、腹を立ててた。

 

「こんなものは、人前に出すものではない」

 

って。

 

 

でもさ、修業っていうか極めるのって、生涯続くじゃん?

 

だから、「極めてから披露」だったら、死ぬまで外に出せないわけ。

 

だけど、とにかく「ストイックに極められたもの」だけに価値を置いてたのよね。

 

 

 

そうなると、とうぜん自分にも厳しくなっちゃうよね。

 

「まだまだ」

 

「こんなんじゃダメだ」

 

「未熟すぎる!」

 

ってすごい自分を責めちゃうわけ。

 

 

それが技術に対する責めなら分かるんだけどね、「自分の存在」まで否定しちゃってたんだよね。

 

 

そいで、そんなときに技術がレベルアップしても、ぜんぜん認められないわけ。

 

それでまた苦しくなっちゃってさー。

 

そりゃ「愉しんで」なんかいられないよね。

 

 

 

でも「ハラ生き」にシフトしてきて分かるのは、

 

「上手い」ことと「下手」なことに差なんてないんだよ。

 

「成功」も「失敗」も同じ価値なんだよ。

 

「得する」のも「損する」のも、同じことなんだよ。

 

 

ぜんぶ、「ただ、ある」んだよね。

 

 

それが腑に落ちないと、

 

「うまくやろう」として、ヘタをこく。

 

「成功しよう」として、失敗する。

 

「得しよう」と思って、損する。

 

 

そんな二元論の世界もいいかもしれないけどね、いまは次の次元にシフトしてしようとしている人が多いよね。

 

 

「うまくいく」ことを目指すのって、なんか違うんちゃうか?

 

どことなく浅はかな感じがするなって。

 

もっと「オモロイ世界」があるんじゃないかって。

 

 

そんな感じを抱えてる人って、今けっこう多いんじゃないかと思うよ。

 

「達成感」じゃない快感ね。

 

「そのまんま」で喜べる世界。

 

「何もしなくていい」から「何をしてもいい」世界。

 

 

「自力」を捨てちゃってさ、流れにたゆたう。

 

マジメな人には、

 

「サボってる」

 

「ふざけてる」

 

「自堕落だ」

 

「無責任だ」

 

って叱られるかもしれないけど。

 

 

そんなラクな世界を、さらに見つけていきたいよね。

 

 

そんな世界が見てみたい人は、コレ↓読んでみてね~♪