「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

あなたが憧れている人は、あなたに憧れているかもしれない。

おぜっきーが思う、エゴ的でどうでもいい感情のなかに、

 

「憧れる」

 

というものがある。

 

 

「憧れる」ってのは、「ないものねだり」の代表格みたいなもんなんだよね。

 

 

「いいなぁ」

 

「うらやましい」

 

「あんなふうになりたい」

 

 

全部エゴ的で、ハラ的な価値観とはちょっと違う。

 

だから、こんな記事を書いたこともある。

 

「いいなぁ」

 

「うらやましい」

 

「あんなふうになりたい」

 

 

っていう「憧れ」が自分のなかに生まれてきたら、それは自分を大切にしていないことに気づくタイミングだ。

 

 

 

カラダとココロが浮わついて、気があがってくると、人は誰かに憧れる。

 

 

それは自分のなかの不足感を見たくない、不全感をごまかしたいからなんだ

 

 

 

「わたしはダメなんだ」

 

という沈み込む代わりに、

 

「あんなふうになりた~い」

 

とように浮わついてフワフワする。

 

 

 

「俺なんて、いなくなればいい」

 

と自己を否定する代わりに、

 

「あの人はスゴイ」

 

と他者(のみ)を肯定する。

 

 

 

しかし、ハラに気持ちがおさまってくると、だんだんと憧れというのはなくなってくる。

 

 

「これでいい」

 

「このまんまでもいい」

 

「こんな俺もいいかも」

 

 

というふうに、ナルシシズムとは違う、静かな、あたたかな自己肯定がはじまる。

 

 

 

 

はっきり言って、「憧れ」なんてぜんぶ幻想であり、妄想だ。

 

 

 

 

けっこうな確率で、自分が「スゴイ」と思う人から「スゴイ」と言われることがある。

 

 

「こいつにはかなわない」

 

「ほんとにこれは大した男だ」

 

「さすがだ」

 

と心から思っていて、それを伝えると、

 

 

「いやいや、おぜっきーの〇〇がいい」とか

 

「尾関くんの、××のがすごいよ」とか

 

ビックリする部分を褒められたりする。

 

 

 

ぼくとしては、褒められる部分が、

 

「え?それの何がスゴイの?当たり前やん!」

 

ってことだったりするからさらに驚きだ。

 

 

つまり、「憧れあう」っていう関係になってたりするわけ。

 

 

 

 

憧れられる代表の偶像アイドルなんかもさ、

 

「ふつうの女の子になりたい」

 

とか言うじゃん?

 

 

あれもさ、ファンはアイドルに憧れるけど、アイドルもファンの人に憧れてたりするんだよね、実は。

 

 

つまりは、どっちも「ないものねだり」なわけ。

 

 

 

まぁさ、人間だからないものねだりするよね。

 

「これが足りない、あれが欲しい」

 

って思うよ。

 

 

でもさ、それは幻想なんだ、妄想なんだって、心のどこかで思っていたらいいんだよね。

 

 

そうしたら、幻想も妄想も愉しめる。

 

 

不足感の幻想の世界に入り込んじゃうから、苦しくなるんだよね。

 

 

なんで入り込んじゃうかって、カラダがしっかりしてないからなんだよ。

 

 

エネルギーをハラにおさめて、「現実」や「事実」と向き合うカラダができてない。

 

 

だから空想の世界を遊べないで、ハマりこんじゃう。

 

空想の世界を「真実」だと思い込んじゃう。

 

 

 

だからね、心のブロックを外すのもいいけど、身体のブロックを外していけばいいんだよ。

 

 

それがいちばんシンプルなの。

 

 

で、カラダをしっかりさせて、この世界を遊び切ろうぜってのが「ハラ生き」ってわけ。

 

 

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