「好きなことやってます」アピールは”常識”に従っている証拠。~「正しさ」に捉われるとき~
「好きなことをやって生きていく」
「やりたいことをやる」
という風潮が出てくると、今度は面白いことに
「私はその風潮に乗ってますよ~」
と”アピール”する人が出てくる。
この「アピールしたい気持ち」というのは、非常に面白いもので、「好きなことをやる」というときに落とし穴となりやすい感情なのです。
そもそも本当に、「やりたいこと」をやっている人は、勝手にやっている。
世間の評判など気にしないし、「やりたいことやってるよ」とも見せつけないし、ただただ愉しんでいる。
けれども、そこに「評価されたい気持ち」が出てくると、なんとなく違和感のある表現になってくる。
「好きなことをやってもいい」と「好きなことをやったほうがいい」では、内容が月とスッポンで、ぜんぜん違ってくる。
「好きなことをやったほうがいいんですよね?」
「好きなことをやったほうがうまくいくんですよね?」
「好きなことをやったほうが幸せになれるんですね?」
という思いで行動する人は、けっきょくアタマ的な「目的志向」「ゴール思考」「結果重視」になってしまう。
そうなると、「いま、ここ」に対して物足りない気分になってくるので、それを埋め合わせるために”アピール”したくなる。
それは「これでいいんだよね?この方向でいいんだよね?」と誰かに”答え合わせ”をしたくなるからだ。
答え合わせしたくなる心の奥には「不安」がある。
「こんな生き方、間違っているのかもしれない」という疑念がある。
そのときカラダは「腑抜け・腰抜け」の状態になっている。
時代の変遷とともに、今までの常識をぶち破る「常識」が出てくる。
そうすると、今までの常識をぶち破った瞬間だけはカッコいいのだけれど、けっきょく「新しい常識」に縛られてしまったりする。
「新しい常識に移行すべきだ」とか
「〇〇という価値観はもう古いから捨てるべきだ」とか
「常識に捉われてはいけない。捉われるべきでない」とか。
チョット複雑なパラドクスにハマってしまいがち。
どうしてそうなってしまうかと言うと、
「正しくなければならない」
という価値観に目を向けないで、「新しい常識」という表面的な部分にフォーカスしてしまうから。
けれども根本的にラクになるということは
「正しさ」
という基準から抜け出すことなのだ。
そこにフォーカスする。
「正しさ」を求めるのは、まさにアタマの仕事。
「こうしたほうがいい」
「ああしたほうがいい」
と「うまくいく」ことを探し、答えを外に求める。
するとどんどんアタマが肥大化し、ハラが萎縮してしまう。
そうならぬためには「好きなことやってますアピール」をしたい気持ちになっていないか、よくよく自分の心を見つめてみること。
あと
「正しいからやる」
という動機になっていないか、内省していく。
おぜっきーも、自分の心を探っていくと、「あ、これアピールしたいだけやな」というときがよくある。
とくに「高級」系は、どうしてもアピールしたくなるよねwww
あと、ぼくの場合はLINEやFacebookでも、
「ねぇねぇ、見てみて!すごいでしょ!」
って子どもやネコみたいな自己承認欲求があるね(笑)
まぁ、そんなアホな自分も可愛く見つめながら、さらにクリアに、さらに透明になっていきたいと思っております。