「責任」を放棄したところに、「ほんとうの愛」がある。
ぼくは今まで、オトナが生きるには「責任」がともなうのだと思っていました。
でもどうやら、「責任」というのは、放棄すればするほど愉しくなるもののようです。
ぼくは結婚してから、いちおう一家の大黒柱としてお金を稼いできました。
妻は、ぼくと一緒に働くことはあっても、足りない稼ぎを埋め合わせるためにパートに出るということは一度もありませんでした。
整体院を開業するにあたって、ぼくは「何が何でも、家族を守る!」と、かなり気負っていました。
院を開業しようとするとき、妻は妊娠4か月。
生まれてくる子どものためにも、「絶対に成功させねば!」と意気込んでいたのです。
そのかいあってか、幸いにも院はすぐに軌道にのり、食べていくことには困らなくなりました。
けれども、ぼくの心はいつでも焦っていたのです。
「来院者さんが来なくなったらどうしよう」
「経営が悪化したらどうしよう」
「チラシの反応がなかったらどうしよう」
と常に不安と戦っていました。
それは院の経営、ひいては家族の生活費を稼ぐということを全部、自分で背負っていたのです。
「俺が守らなきゃ」
「俺がなんとかしなきゃ」
「俺以外にはできないから!」
と自分で責任を負って、苦しんでいたのです。
そこには
「稼げない自分には生きる意味がない」
「経営に失敗する自分には価値がない」
「院がうまくいかない=ダメ人間」
というような思い込みがあったのです。
すると、いつも焦っているから、なかなか上機嫌にはなれません。
それに「責任を背負っている」=「家族を”義務”で養っている」ということなので、どうしても「養ってあげている」という思いが出てきてしまいます。
口では「あなたのおかげで」と妻に言っても、けっきょく内心で「俺が稼いでるんだから」という思いがありました。
だから、ケンカが絶えない。
今おもえば妻が不満を抱える理由は充分にわかるのですが、当時は
「いったい何が不満なんだ!」
とよくブチ切れていました。
その裏には「こんなにちゃんと”義務”を果たしているのに!」という思いがあったのです。
そんなカツカツの心だったぼくも、徐々にハラ生きにシフトし、今は「したいときだけ仕事をする」というあり方にチャレンジしています。
なぜ、それができるようになったかというと、「責任を放棄した」からなんですね。
「ハラで生きる!」と覚悟を決めたときに、ぜんぶ捨てたのです。
家のローン? そんなもん知るか!
車のローン? 知ったことか!
家族を養う? どうでもいい!
もうどうなっても知らんわ! おれはハラで生きるんだ!と決意したんです。
超無責任ですよね。
そしたらね、そしたらですよ。
どうなったと思います?
妻が、喜んだのです。
「やっと、わかってくれたのね」
って。
「あなたは一人でそんなに背負わなくていい。愉しんでいい、って前から言ったでしょ。
私は養ってもらおうなんて思ってないの。あなたと一緒にやっていきたいだけなの」
って。
もう衝撃ですよ。
「ええええ~、責任をもって養わなくていいのーーーー!!」
って。
それどころか、めっちゃ愛されてたんです。
そんなことにも気づかずに、ずっと一人でがんばっていたんですね。
それで仕事ぶりをどんどん自由にしていった。
朝から散歩する、瞑想する、昼寝する。
書きたいときだけブログを書く。
そしたら、愉しいから気分もいいですよね。
まだ不安もあるんだけど、やはり愉しい。
それで、のんびりしていることが増えたから、妻も安心するのか機嫌がいい。
当然ケンカは減る。
だからぼくも、妻と一緒にいるのが愉しくなる。
そして、さらに愛しくなる。
そんな状態になって、やっとわかったんです。
「そうか、責任を放棄してはじめて、本当の愛に気づけるんだ」と。
「義務」と「責任」は、左脳社会の「ねばならない」の代名詞みたいなもんです。
そして「義務」と「責任」に縛られている人ほど、他人を義務と責任で縛ろうとする。
ぼくは、その典型的な例でした。
けれども、ハラを決めて「超無責任オトコ」になってみたら、結果的にそれが快適なパートナーシップにつながったのです。
きっと、このブログを読んでいる人で、「義務」と「責任」に縛られて、いや自分を「義務」と「責任」でがんじがらめにしている人もいると思う。
そんな人はぜひ、「腐れ外道」になって、責任を放棄してみてほしい。
「わたしは、やりたいことをやってもいい」と。
そしたら、一気に肩の力が抜けるはずです。
そしてたくさんのことに気づく。
「世間体のために、いい人ぶってた」
「責任感のある人を演じてただけだった」
「”ねばならない”を放棄したら”~したい”が見えてきた」
と。
ただ、責任感の強い人が「腐れ外道」になって、「やりたいことをやっ」て、責任を放棄するのは、とても怖いことなのです。
けれども、その怖い道に進んでいくことが、自分を解放する道なのです。
そこから逃げたら、また今までの「義務」と「責任」の「アタマがちがち社会」に舞い戻るだけなのです。
もちろん「アタマがちがち社会」に戻るも、新しいハラ世界にシフトするもあなたの自由です。
ただ、愉しく激烈に、猛烈にサイコーに生きたいなら、ハラ世界に移行するしかない。
常識の世界なんて、ツマラナイでしょう?
さぁ、怖がらずにコッチへおいでよ!
今までとは、ぜんぜん違った世界が見えるよ!!!!