「仕事が大好き」って言ってる人の90%が「自己否定が強いだけ」説。
もしかしたらだけど、「仕事が好き」というのは、「自分が嫌い」を隠すために、非常に体裁のいい口実なのかもしれない。
「自分が嫌い」だけど、仕事をがんばってる俺は好き。
「自分が嫌い」だけど、成果を出してる私が好き。
「自分が嫌い」だけど、仕事で役に立ってる自分が好き。
そう、「仕事」をすればするほど、「自分の存在の無価値感」をごまかすことができるんですね。
これはぼくの経験上の話だけれども、いわゆる「ハラの使命」に目覚めた人は、あまり「仕事が好き」ということを口にしないものです。
どうも、「ハラの使命」に目覚めると、「仕事が好き」とかどうとか「自分ごと」は、どうでもよくなっちゃうみたいなんですね。
「仕事が好き」というセリフは、ほぼアタマの不安から来ている。
「仕事をしないと食べていけない」という不安。
「仕事をしていないと価値がない」という不安。
「仕事をしていないと、ソワソワする」という不安。
そういう人は、けっこう成果をあげている。
「社会で評価されなければ」という思い込みのとおり、ちゃんと社会で評価されている。
身を粉にして、実績を出し、褒められている。
そこにある程度の幸せはあるんですよ。
「評価された」「役に立った」「収入があがった」というアタマの幸せはある。
けれども、それは「自分がここに”あるという喜び」ではない。
アタマの幸せは、いわゆる「条件付きの幸せ」。
「〇〇だから幸せ」という、理由のある幸せなわけです。
いっぽう、ハラ的な幸せというのは無条件な幸せです。
まったく理由がない。
「なんか知らんけど、幸せだなぁ」
という状態。
これは、アタマの幸せじゃなくて、ハラの幸せ。カラダの幸せ。
だから、難しいことはもう考えなくていい。
たださ、ハラを動かしていけばいいのよ。
こういうふうに遊んでると、勝手にハラが動くよ。