「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

人は数字でダマされる。だからこそ、数字に踊らされない自分を創るんだ。

既存のマーケティングでは、「集客のための告知文では数字を使え」というセオリーがあります。

 

 

たとえば、

 

「使用した方の83.8%が効果を実感!」とか

 

「9人に1人が買っている化粧品」とか

 

「10分に1本売れている美容液」とか。

 

そういう売り方があるでしょう?

 

 

それはエゴが、「数字」というものに弱いからなのです。

 

エゴというのはジャッジメントするさいに、「得するか損するか」ということを非常に気にします。

 

 

それはエゴは「生存を保証する」ということをしたがるので、極論を言うと、「損すると死ぬ」というふうに感じるのです。

 

 

だから、損するということを極端に嫌います。

 

そうならないために、得する情報を探している。

 

 

けれども、そのエゴ意識が肥大化してくると、ハラ感覚はどんどん鈍ってくる。

 

というのは、ハラ感覚には、損とか得とかがないからです。

 

「これは損か?得か?」とアタマでごちゃごちゃ考えているうちに、ハラ感覚が鈍ってしまうのです。

 

 

そうすると、エゴがさらに肥大する。

 

「損したらどうしよう?」という恐怖が拡大してくる。

 

 

そんなときに損しないための判断材料は「数字」しかないのです。

 

 

「86%の人が効果を実感しているなら大丈夫だろう」

 

「10分で1本売れるくらい売れているなら、安心できる商品だろう」

 

「世界で10億食も売れているカップ麺なら健康にもいいだろう」

 

と。

 

 

だから、数字に踊らされてしまう。

 

 

これは人間関係においても、そうですね。

 

「ヒト」をはかるモノサシというのは、たくさんあるけれども、最終的には「自分に合うかどうか」がすべてだと思います。

 

そのためにはハラを割って、ハラで話してみる。

 

それで合えば付き合えばいいし、合わなければ付き合わなければいい。

 

 

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で、なんだっけwww

 

 

そう、「ハラ感覚」で人を観ればいいって話。

 

 

けれども、エゴに乗っ取られていると、そこでも数字で判断しちゃうんだよね。

 

過去の実績とか、いまの業績とかね。

 

 

年収がいくら、会社の年商がいくら、本を何冊書いてます、それが何冊売れてます、ブログのアクセスが〇〇です…

 

 

もちろん、それもスゴイことだけど、でもその結果と「ハラ」って関係ないのよね。

 

 

だって、ハラが据わりまくってても仕事が教師だったら、そんなに年収があがるわけでもないでしょう?

 

ハラのすわった「肝っ玉かあちゃん」だったら、年収ゼロ円かもしれないよ?

 

 

だから「ハラ生き」どうかって、数字じゃ分からないのよ。

 

じゃー、どうやって分かるのて、それはハラが響きあうかどうか、だけの感覚で判断するわけ。

 

 

モノもサービスも、ブログもセミナーも、ぜーーーんぶハラの響きで決めちゃう。

 

 

そしたら、実は案外まちがいがないのよ。

 

 

で、間違ったら間違ってでオモロイやん、っていうのが「ハラ生き」の世界。

 

「間違えてしもたああああぁぁぁぁーーーーwwwwwwww」

 

って。

 

 

そんな世界だったらさ、もう数字で煽ったり、数字にダマされたりしないわけ。

 

「90%以上の人が効果を実感されていますよ」

 

「だからなに?私が10%のほうだったら、どうするの?」みたいなwww

 

 

とにかく現代は体感覚、ハラ感覚が置き去りにされずぎなのよね。

 

なんでもかんでも、考えて判断してさ。

 

 

でもさ、理性的な判断って思ってても実は人が考える「理性的」とかって、大したことないのよ。

 

むしろショボショボwww

 

だから「理性的」「論理的」「計画的」に選択していくと、小さくまとまっちゃうんだよね。

 

 

おぜっきーは、「数字で判断しない世界」にシフトしたいと思ってるよ。

 

あくまで「オモロイかオモロくないか」。

 

それだけでジャッジする世界があったら、めっちゃ愉しいと思ってる。

 

 

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