「ハラ生き道」

「からだの軸」が整えば、「じぶんの本質」につながれる。

「余裕がない」という状態に陥って、はじめて「不思議な力」が働きだす。

ゆるーく、らくに、愉しく。

 

 

そういうのも、いいかもしれない。

 

 

無理せず、のんびり、ゆっくりと。

 

 

「愉しく遊んで豊かに」なんていうと、ついそんなことを連想してしまうかもしれない。

 

 

 

けれども、ほんとうの「遊び」っていうのは、「余裕がなくなってから」なのです。

 

 

 

「余裕」があるうちは、エゴの領域から抜け出せない。

 

 

どうしても一度は「必死」になる時期がいる。

 

 

そこで

 

「必死になってもできないものはできないんだ」とあきらめる。

 

「自分の力ではいかんともしがたい」

 

「あとは、天にゆだねるしかない」

 

 

そんな状態になってはじめて、「思ってもみない力」が味方してくれる。

 

 

事業をやっていくうえで、いちばん怖いのは「本気になれない」ことだ。

 

 

なんとなく、やってる気分。

 

限界まで、やった感じ。

 

一生懸命、やってるつもり。

 

 

そんなときが、いちばん成果があがらない。

 

 

 

そこから、どんどん追いつめられる。

 

”問題”という名前の「気づかせるためのイベント」が連続する。

 

「必死になれ」と神さまからケツを叩かれる。

 

 

 

そしてついに限界を迎え、すべてをやりつくすと、そのときに「脱力」が訪れる。

 

 

 

それは「カラダの力を”抜いた”状態」ではなくて「カラダの力が”抜けた”状態」。

 

 

つまり、そこに作為がない。

 

いわゆる無為の状態。

 

 

なにもせず、自然体で、力が抜けている。

 

 

そんな「ハラの据わった状態」が武道でもビジネスでも求められる最高の状態だと思う。

 

 

ある人が言っていました。

 

「とある時期の5年間は、寝ているか起きているかも分からないほど必死だった。そのときは、ほんとうにピュアな状態だった」

 

と。

 

 

そして今、ぼくは自分を振り返る。

 

 

「いまの自分は”本気”なのか?」

 

と。

 

 

 

もちろん、「すべては遊び」という原則は変わらない。

 

 

けれども、その「遊び」を本気でやりつくしているかどうかが、問題なのだ。

 

 

はっきり言って「追いつめられる状態」に自分を置けない人は、ずっと中途半端なままだ。

 

 

 

さぁ、今こそ余裕のための保険を手放せ。

 

「思い」に準じないものは、捨てていけ。

 

「ほんとうの自分」が持っているエネルギーを解き放て。

 

 

 

あとは、奇跡を待つだけだ。