悩みのゲシュタルトを崩壊させればいい。 ~見つめる技術~
心理学の用語で「ゲシュタルト崩壊」という単語がある。
これはたとえばカンタンな漢字なんかをずーっと見続けていると、
「あれ?この漢字、こんなんだっけ?」
ってなってくるアレ。
あの、なんか笑えてくる現象のことを、心理学で「ゲシュタルト崩壊」というわけです。
で、おぜっきーは心理学の難しいことなんかは分からないけれども、そこに「じーっと観てると、あれあれ?ってなってくる」っていう現象はあると思う。
それは、一点に集中して観察することで、「全体としての意味合い」が分からなくなるんだよね。
ぼくらは、この世界を自分で組み立てている。
たとえば、「バカですね」と言われると、オトナはムカつく。
つまり、言葉の意味がわかるとムカつく。
けれども、生まれたての赤ちゃんは、「バカですね」と言われても分からない。
”日本語を覚える”までは、
「B、A、K、A、D、E、S、U、N、E」
という”意味のない”音の羅列にしか聞こえない。
だから逆に「バカですね」と言われたときに、
「ほげぇ?それ、なんですかぇ~?」
という本当のバカになってしまえば、苦しみはなくなるということなんです。
つまり、たいていの苦しみというのは、「アタマがいいから」起こるのです。
「アタマが良すぎる」からこそ、「いまの状況」にマトモに対応しようとがんばってしまい、さらに苦しくなる。
それがアホになれば、「悩み」というのもなくなってしまうのです。
そのためにどうするかというと、「悩みを見つめる」ということなんです。
たとえば、人間関係で悩んでいたら、
「悩んでる、悩んでる、悩んでる…」というふうに、「いまの状況」をじっと見ていく。
で、100回くらい言ってると、「悩んでる、ナヤンデ―ル、ナヤーンデール…」とゲシュタルトが崩壊してくるのです。
あれ、「悩んでる」ってなんだっけ?
と。
そうなれば、しめたものです。
「だから、何なんだったっけ?」ってなればいいのです。
もともと、すべてに「意味」はないのです。
自分で、勝手に「意味」を組み立てているだけなのです。
だから、ぜんぶ、もう一度「分解」してしまう。
それから、もう一度、組み立てなおせばいい。
とにかく「アタマ」で考えることを捨てちゃう。
そして「ハラ」にまかせちゃう。
そのためにはハラの筋肉が躍動していることが大切なんだよね。