世界を変えたり、救ったり、社会貢献したりしなくていい。
「大きな夢」というのは、褒めたたえられることが多い。
「日本を変えます!」
「世界をひっくり返す!」
「戦争を世界なくす!」
そんな壮大な夢って、なんか響きがいいし、否定もされにくい。
けれども、そのあり方を見て苦しくなる人もいると思うので、別にみんなが夢なんか持つ必要はないんじゃないかな、ということを書いてみたいと思う。
「なぜ、日本を変えたいと思うのか」
「なぜ、世界をひっくり返したいのか」
「なぜ、戦争をなくしたいのか」
そうやって、「あり方」を見ていくと、そこにはやはり「不安」が潜んでいることが多い。
そして、不安といつも同居している「問題意識」もそこにいる。
「このままの日本じゃダメだ」
「いまの世界を変えないと!」
「戦争をなくさなきゃ!」
そこには、根本のところに「否定」がある。
「今のままじゃダメだ」という否定。
で、実はその否定って、「自分に対する否定」なんですね。
自分に対する否定が多いほど、世界を否定したくなる。
自分が立派でありたいと願うほど、クズな自分を否定し、そしてクズな他人を否定する。
だれかを攻撃したい気持ちを抑えていると、誰かを攻撃している人を攻撃してしまう。
どうもぼくらは、この世界の中から「自分の中にあるもの」しか見えないようなんですね。
だから、自分に対して否定感があって自分を変えたいとき、ぼくら世界を否定し、世界を変えたくなる。
世界の〇〇を救いたいとき、ぼくらは自分を救いたい。
社会貢献したいとき、ぼくらは自分に貢献したい。
だから、自分が「どんな状態でも幸せだ」という状態になったとき、周りのみんなが幸せに見える。
けれども条件付きの幸せに安心している場合は、「〇〇だから不安だろうな。かわいそう」というふうに見える。
すると、そこに問題意識が生まれてきて、「解決しよう」という発想になる。
けれども、「問題意識」は自分の中にしかないのです。
外界の問題を解決しても、また似たような問題が訪れるだけなのです。
だから「戦争をなくすぞ!」という戦争を起こしてしまうのです。
ほんとうに戦争をなくしたいなら、まずは自分の心が平和になることが大切だとぼくは思うのです。
「大きな夢」が自分の心に生まれてきたら、一度それを検証してみてもいいかもしれません。
大きな闇ほど、大きな夢を生むようです。